なぜお墓が必要か?
お墓のはじまり
死者を葬るという行為は、死を理解し、死者への共感能力を持つ人類だけの習慣と言えます。
こうした行為を行うようになった時期については諸説あり、一部の専門家によると、今から約40〜4万年前のネアンデルタール人(旧人)であるという説が一番古いもののようです。
ネアンデルタール人の化石が、洞窟内などの特定の場所から何体も副葬品とともに発見されるケースが多々あり、このことから死者を葬っていたと推測されているそうですが、これには反対意見も多く、正確なところはまだわかっていません。
いずれにしても、私たち人類がまだまだ動物に近かったころから死者を葬りはじめ、現在までにこの習慣が続けられているからには、それなりの理由があると考えられそうです。
それでは、なぜ人類は亡くなった人を葬るようになったのでしょうか?
亡くなった人を葬る理由
世界にはさまざまな“葬り方”がありますが、最終的には埋葬をすることが多いようです。
そもそも人類が埋葬を行うようになった理由としては
- 遺体をそのまま放置しておくのは見栄えがよくないから
- 腐敗などの衛生上の問題から
- 死者の復活を物理的に防ぐため
- 死者が死後の世界で再生・往生・復活できるように願うため
これらのことが挙げられます。
ここで少し考えてみてください。
もし見栄えや衛生上の理由、物理的な理由だけで埋葬をするようになったのであれば、少し乱暴な言い方ですが、適当にどこかに埋めてしまえば解決します。
しかし、世界の人類の多くは、埋葬をするだけでなく、“どこに埋めたかを把握しておきたい”と考えました。
その証拠といえるのが“お墓”です。
埋葬したあともその場所を訪れる何らかの必要があった、だから、お墓を建てておく方が便利だったのです。
なぜお墓が必要だったのか?
埋葬された死者の肉体は徐々に土に還っていくことになります。ですから、ある程度の時間が経てば、埋葬した場所にはもう何もなくなってしまいます。
それなのに、人はわざわざお墓を建ててそこを訪れ、何をしていたのでしょうか。
考えられるのは、何らかの儀式を行っていたのではないか、ということです。
日本人に多い仏教では、こうして死後の世界を想い、死者の冥福を祈ることを“供養”といいます。一般的にはお墓に埋葬し供養することで、故人の魂は浄化され成仏すると教えられてきました。
しかし、世界最古のお墓(献花の形跡がある墓地)は約1万2000年前のイスラエル北部の洞窟から発見されていますし、日本でも仏教が伝わるずっと前の旧石器時代には、すでにお墓らしきものの遺構があったとされています。
また、別の宗教では「死んだら無になる、死後の世界はない」という教えもあります。こうなると“供養”のような儀式は不要になるはずですが、不思議なことに、こうした宗教の教徒でさえ、亡くなったあとにお墓を建てているのです。
これらのことを考えると、人類にはもともと供養の概念へとつながる “別の何か”が備わっているのではないか、とも思えてきます。
死者を葬り、お墓を建て、祈る。
この一連の習慣には、宗教などの教えよりももっと根源的な、全人類に共通する“想い”が隠れているように感じるのです。
お墓に隠された人類共通の“想い”
亡くなったあとも、その人の行先を考え、祈らずにはいられないのは、そこに「愛」があったからではないでしょうか。
こんな風に何の見返りも期待せず、目の前にいなくても相手のことを想える気持ちこそが、「愛」と呼ばれるものの正体です。
長い時間をともに過ごし、愛した人がいなくなる喪失感は本当に大きいものです。
亡くなったあと、抜け殻となった肉体は、冷たくなって、動かなくなります。
その人とは二度と同じ時間を過ごすことはできなくなり、新しい想い出ももう増えることはありません。
そして、埋葬されてしまえば、まるで何事もなかったかのように、その存在は土へと還っていくのです。
昔の人にとって、大切な人の死を受け入れるのは今よりもずっとつらく、耐え難いことだったのかもしれません。
なぜなら、現代のように写真や動画などを遺しておくこともできず、亡くなったあとに遺るのは、ただ一緒に過ごした時間の想い出と愛情だけ。
記憶や感情にはカタチがありません。
こんな頭の中にしかないとても不確かなものを、どうにかして留めておきたかったのですね。
人類がお墓をつくり続けてきた理由。
それは、愛する人が生きた証を残すことで自分自身の心に空いた穴を埋め、想い出を忘れずにずっと大切にしていきたいという気持ちの表れなのではないでしょうか。
お墓の役割
さて、近年では海に散骨したり、宇宙にお骨を打ち上げる宇宙葬など、お墓をつくらない新しい供養のスタイルも登場しました。
亡くなった方への想いや悲しみは同じでも、時代の流れとともにそのカタチは変わってきています。
しかし、実際にお墓をつくらなかった人の中には、後に「やっぱりお骨を遺しておけばよかった」と後悔するケースも少なくないと言われています。
実は、私たちが思っている以上にお墓が担う役割は重要で、その存在は意外と大きなものだったのです。
ここからは、お墓の役割についてご説明いたします。
お墓が果たす2つの役割
現代の日本において、お墓には次の2つの側面があります。
- 遺された人の心の支えになる
- お骨をしまっておく
遺された人の心の支えになる
大切な人を失うと心にぽっかり穴が空いてしまいます。ところが、遺された人も、いつまでも悲しみに暮れているわけにはいきません。人は生きていくために、つらいことから忘れていくようにできており、その心の穴も時間とともに癒えていきます。そして、どんなに忘れたくないと思っていても、亡き人との想い出は少しずつ薄れていきます。
しかし、お墓を建てていれば、お盆やお彼岸などに定期的にお参りをすることになります。そして、お墓の前で手を合わせるたびに、大好きだった人を思い出し、愛し愛された記憶が蘇ります。つまり、手を合わせるということでもう一度、亡き人の愛を感じることができるのです。
一方、散骨などでお墓をつくらなかった人は、お墓がないので「定期的に手を合わせる」という行為ができません。散骨して後悔する人の多くは、故人をしのぶときにカタチを伴ってできないことが心の痛みになっているといわれています。
お骨をしまっておく
日本では、昭和23年(1948年)に『墓地、埋葬等に関する法律』が制定され、これに付随する細則によって一部の大都市では土葬が禁止されるなど、現在では遺体を火葬したあとに焼骨だけを埋蔵するのが一般的となっています。
ちなみに、墓地以外の場所に埋葬・埋蔵してはならないということも法律で決められています。
納められたお骨の扱いは地域によっても違うのですが、関西ではお骨はいずれは土に還るものとして骨壷から出して納骨し、関東では骨壷のまま納骨室に納められます。
お骨は、大切な人がこの世に生まれ、生きた証。最も研ぎ澄まされた“形見”ともいえます。
心のこもった手紙や思い出のチケットの半券を捨てられずにとっておくように、亡き人の一部だった物を大切にしまっておける場所、それがお墓なのです。
お墓を建てるうえで大切なこと
ここまで読んでいただけると、お墓づくりにおける大切なことがおわかりいただけると思います。
「どんな石にしようか?」「デザインはどうしようか?」・・・
お墓を建てようと思うと、つい、墓石のことばかり考えてしまいがちです。
でも、実は墓石なんて、本当はなんでもいいのです。
立派な石でなくてもいいし、素敵な形でなくてもいい。
どんなお墓でも、ただそこにあるだけで、あなたの家族が代々にわたって愛情でつながってきたことの表れなのですから。
墓石は、その場所に大切な人が眠っているという単なる目印に過ぎません。
それよりも、本来のお墓の主役は納骨室(カロート)なのです。
どんなにブランド物のおしゃれな腕時計でも、時間が止まってしまっていたら時計としての価値がないように、お墓もお骨を適切な状態で納められなければ建てる意味がありません。
お墓づくりで大切なのは、まずは構造部分がしっかりしていること。
そして、そのうえで選ぶ石種のグレードを考えていけばいいのです。
もしかすると、故人に対して、生前にもっとこうしてあげたかった、という後悔をされている方もいらっしゃるかもしれません。
そんな想いがあるなら、なおさら、せめてお墓だけは後悔のないようにつくっていただけたらいいな、と思います。
それでは次に、後悔のないお墓づくりに必要な、消費者の方があまり知らないお墓のお話をご紹介いたします。