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お墓と宗旨・宗派④律宗/唐招提寺(奈良県)

お墓と宗旨・宗派④律宗/唐招提寺(奈良県)
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■お墓と宗旨・宗派①宗派について
https://daiichisekizai.com/200808/

■お墓と宗旨・宗派②法相宗/興福寺・薬師寺(奈良県)
https://daiichisekizai.com/blog/2012/08/220902/

■お墓と宗旨・宗派③華厳宗/東大寺(奈良県)
https://daiichisekizai.com/blog/2012/08/241430/

上記のコラムからのつづきです。

律宗(りっしゅう)は中国で戒律(僧侶が守るべき規律)の研究に基づいて成立した一派です。

戒律の研究を厳格に守って修行生活をすることによって、悟りを開くことを理想とします。

鑑真和上坐像.jpg

唐招提寺の鑑真和上坐像

日本には奈良時代に中国の鑑真和上が苦難の旅の末に来日して伝えたものです。

井上靖氏の小説『天平の甍(いらか)』で有名な鑑真和上は、
防風雨や海賊に阻まれて5回も渡来に失敗したが、
6回目の挑戦でやっと日本にたどり着くことができました。

その間に11年の歳月が過ぎ、当初の同士はすでに渡日を諦めたり亡くなったりしていました。

鑑真自身も海賊に襲われたり、嵐で難破したりし、
海に投げ出された際に潮で目を痛めてついに失明してしまいました。

それでも決して諦めることなく、ついに初志を貫いて念願の来日を果たしたのであります。

時に鑑真は67歳になっていました。

天平勝宝6(754)年に来日した鑑真は東大寺に戒壇を設けました。

戒壇は僧侶に正式に戒律を授ける施設で、
これによって日本国内で戒律を受けることができるようになり、
多くの僧侶がここで受戒したのであります。

これは、日本の仏教史上、画期的な出来事だったのです。

 

唐招提寺.jpg

 

律宗の総本山、奈良市の唐招提寺

鑑真は大和尚の号を賜り、大僧正に任ぜられました。

さらに後には聖武天皇の勅願によって唐招提寺が建立され、
鑑真が住持(住職)となり、天平宝字7(763)年に77歳の生涯を閉じました。

鑑真没後も唐招提寺は戒律研究の根本道場として栄えましたが、
平安時代以降、都が京都に移るとしだいに衰えてきました。

特に平安時代のはじめに、伝教大師最澄が比叡山に大乗戒壇を創設すると、
衰退の一途を辿ることになったのです。

鎌倉時代になると実範(じっぱん)、覚盛(かくじょう)らの尽力によって、
復興を見たが、室町時代には守護大名などに寺領を奪われて再び衰退しました。

ただし、幸いにも兵火にまみえることなく、
伽藍や仏像などは残され、現在も多くの参拝者を集めています。

寺内に納められている鑑真和上像(国宝)は、天平時代の作でありますが、
鑑真の人柄を今に伝える名作として有名であります。

現在、律宗は唐招提寺を大本山とし、24の末寺を擁しています。

           ~つづく~

※引用文献:日本石材工業新聞 第1900号
 

【墓石建立可能地域】
・兵庫県・神戸市及び関西地方
・東京周辺の首都圏
・関東地方
・中部地方
・北陸地方
・近畿地方
・中国・四国地方
・九州地方(沖縄、離島を除く)

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