お墓と宗旨・宗派⑯最終話:単立寺院
■お墓と宗旨・宗派①宗派について
https://daiichisekizai.com/200808/
■お墓と宗旨・宗派②法相宗/興福寺・薬師寺(奈良県)
https://daiichisekizai.com/220902/
■お墓と宗旨・宗派③華厳宗/東大寺(奈良県)
https://daiichisekizai.com/241430/
■お墓と宗旨・宗派④律宗/唐招提寺(奈良県)
https://daiichisekizai.com/blog/2012/08/281614/
■お墓と宗旨・宗派⑤天台宗/比叡山延暦寺(滋賀県・京都府)
https://daiichisekizai.com/blog/2012/09/221247/
■お墓と宗旨・宗派⑥真言宗/高野山・金剛峯寺(和歌山県)
https://daiichisekizai.com/blog/2012/09/271004/
■お墓と宗旨・宗派⑦浄土宗/知恩院(京都府)
https://daiichisekizai.com/blog/2012/10/031034/
■お墓と宗旨・宗派⑧浄土真宗/西本願寺・東本願寺(京都府)
https://daiichisekizai.com/blog/2012/10/110945/
■お墓と宗旨・宗派⑨時宗/清浄光寺(遊行寺)(神奈川県藤沢市)
https://daiichisekizai.com/blog/2012/10/211111/
■お墓と宗旨・宗派⑩融通念仏宗/大念仏寺(大阪市)
https://daiichisekizai.com/blog/2012/11/091431/
■お墓と宗旨・宗派⑪臨済宗/建長寺派(鎌倉)南禅寺派(京都)など14派
https://daiichisekizai.com/blog/2012/11/101304/
■お墓と宗旨・宗派⑫曹洞宗/永平寺(福井県)・総持寺(横浜市)
https://daiichisekizai.com/blog/2012/11/111654/
■お墓と宗旨・宗派⑬黄檗宗/万福寺(京都府宇治市)
https://daiichisekizai.com/blog/2012/12/011343/
■お墓と宗旨・宗派⑭日蓮宗/身延山久遠寺(山梨県)
https://daiichisekizai.com/blog/2012/12/041535/
■お墓と宗旨・宗派⑮真言律宗/西大寺(奈良県)
https://daiichisekizai.com/blog/2012/12/061137/
上記のコラムからのつづきです。
これまでに、日本の十三の宗派についてご紹介してきましたが、
とりわけ、戦後になってから既成の宗派から独立して新たな宗派を名乗り、
単立となった寺院も少なくありません。
今回はその中からいくつかの寺院をご紹介いたします。
ただし、教理的には独立以前と変わらないところがほとんどです。
先ずは東京浅草の浅草寺。
もともと法相宗の系統だったと思われますが、
平安時代のはじめに慈覚大師円仁が訪れて天台宗に改宗しました。
しかし、浅草寺は「浅草の観音さま」の名で親しまれ、
本尊の聖観音は宗派を超えて多くの人々の信仰を集めています。
このことから、戦後、聖観音宗として天台宗から独立いたしました。
奈良の法隆寺は創建623年の古刹で、
興福寺や薬師寺と同じ法相宗でした。
しかし、ここも戦後になって聖徳太子のゆかりの深い寺院ということで、
聖徳宗を名乗り、法相宗とは一線を画することになった。
また、大阪の四天王寺は推古天皇の元年(593)に、
聖徳太子によって創建された古刹であります。
当初は特に宗派に属することなく、
多くの人々の信仰を受け入れてきましたが、
中世から戦後までは天台宗に属していました。
しかし、終戦後、昭和21年(1946)に
天台宗から独立して和宗総本山を名乗りました。
これは聖徳太子が重んじた和の精神に基づくもので、
宗派を超えて万人を受け入れる姿勢を示したのであります。
平安時代のはじめに創建された京都の清水寺は、
長らく興福寺の末寺で法相宗に属していました。
しかし、大正3年(1914)に興福寺住職で
法相宗の管長だった大西良慶師が入寺しました。
当時、衰退していた寺を復興し、昭和40年(1965)に
法相宗から独立して北法相宗と改めました。
このように、戦後になって単立寺院となったところは他にも多く見られます。
~おわり~
※引用文献:日本石材工業新聞 第1938号