お墓と宗旨・宗派⑨時宗/清浄光寺(遊行寺)(神奈川県藤沢市)
■お墓と宗旨・宗派①宗派について
https://daiichisekizai.com/200808/
■お墓と宗旨・宗派②法相宗/興福寺・薬師寺(奈良県)
https://daiichisekizai.com/220902/
■お墓と宗旨・宗派③華厳宗/東大寺(奈良県)
https://daiichisekizai.com/241430/
■お墓と宗旨・宗派④律宗/唐招提寺(奈良県)
https://daiichisekizai.com/blog/2012/08/281614/
■お墓と宗旨・宗派⑤天台宗/比叡山延暦寺(滋賀県・京都府)
https://daiichisekizai.com/blog/2012/09/221247/
■お墓と宗旨・宗派⑥真言宗/高野山・金剛峯寺(和歌山県)
https://daiichisekizai.com/blog/2012/09/271004/
■お墓と宗旨・宗派⑦浄土宗/知恩院(京都府)
https://daiichisekizai.com/blog/2012/10/031034/
■お墓と宗旨・宗派⑧浄土真宗/西本願寺・東本願寺(京都府)
https://daiichisekizai.com/110945/
上記のコラムからのつづきです。
時宗の基をつくった一遍上人は伊予(愛媛県)の豪族の子に生まれ、
若くして出家しましたが、後に家督を相続するために、
還俗(出家した者が元の俗人に戻ること)して妻をめとり子供ももうけました。
しかし、一遍を亡き者にしてまで家督を奪おうとする親族の醜い争いに失望し、
再び出家して一所不住の遊行の旅にたったのです。
一遍は終生に渡り遊行生活を続けたので遊行上人と呼ばれています。
彼は全国を巡り歩いて「南無阿弥陀仏」と書かれた札を配って人々に往生を約束しました。
そして、念仏を唱える喜びのうちに信者とともに踊り、
それが後世にに伝えられる「踊念仏」となり、
さらには「盆踊り」の起源ともなったと言われています。
また、一遍はあらゆるものを投げ捨てて「南無阿弥陀仏」を唱えることを説き、
自らも最後にはわずかに持ち歩いていた教典や自分の著作を
「一代の聖教みなつきて、南無阿弥陀仏になりはてぬ」
と言って焼き捨ててしまったとのことです。
このことから彼はまた「捨聖(すてひじり)」とも呼ばれています。
時宗の本義は「時衆」で、ある場所に縁を得て参集した人々が念仏をとなえ、
賦算(時宗独自の行事であるお札配り)を受けることによって往生が確立します。
そして、その場所を離れた後は皆が往生することを約束されているから、
参集して念仏をとなえたり、修行をするための道場や寺院は必要ない、
というのが一遍の考えでした。
したがって、一遍は文字通り一所不住の遊行生活をして、
寺院を建立したり、宗規を定めたりすることはなかったのです。
▲時宗総本山・清浄光寺(遊行寺)
しかし、一遍の没後、彼の弟子たちが徐々に教団を整備し、
第二世の他阿上人のときには宗規を確立し、
第五世安国にいたって藤沢の清浄光寺(遊行寺)を本山と定めて今日に至ります。
現在、400余りの寺院があり、浄土宗、浄土真宗と並ぶ、
浄土系宗派の一大勢力となっています。
~つづく~
※引用文献:日本石材工業新聞 第1917号
【墓石建立可能地域】
・兵庫県・神戸市及び関西地方
・東京周辺の首都圏
・関東地方
・東海地方
・近畿地方
・中国・四国地方