お墓と宗旨・宗派⑧浄土真宗/西本願寺・東本願寺(京都府)
■お墓と宗旨・宗派①宗派について
https://daiichisekizai.com/200808/
■お墓と宗旨・宗派②法相宗/興福寺・薬師寺(奈良県)
https://daiichisekizai.com/220902/
■お墓と宗旨・宗派③華厳宗/東大寺(奈良県)
https://daiichisekizai.com/241430/
■お墓と宗旨・宗派④律宗/唐招提寺(奈良県)
https://daiichisekizai.com/blog/2012/08/281614/
■お墓と宗旨・宗派⑤天台宗/比叡山延暦寺(滋賀県・京都府)
https://daiichisekizai.com/blog/2012/09/221247/
■お墓と宗旨・宗派⑥真言宗/高野山・金剛峯寺(和歌山県)
https://daiichisekizai.com/blog/2012/09/271004/
■お墓と宗旨・宗派⑦浄土宗/知恩院(京都府)
https://daiichisekizai.com/blog/2012/10/031034/
上記のコラムからのつづきです。
浄土真宗は鎌倉時代に法然上人の弟子である
親鸞聖人(1173〜1262)がその基をつくりました。
親鸞は妻帯して子供も多くもうけ、
非僧非俗(僧にあらず、俗にあらず)
という独自の立場を主張しました。
▲親鸞聖人像
法然の浄土宗と同じく他力本願を説きますが、
「南無阿弥陀仏」を唱えなくても救われるという
"絶対他力"を説くのが特徴です。
また、親鸞の言行録である『歎異抄(たんにしょう)』には、
「善人なおもて往生をとぐ。況や悪人をや」という言葉があるように、
悪人こそ救われるという「悪人正機説」を説くところに特徴があります。
親鸞は一宗を開くつもりはなく、
死語はその遺骸(いがい)は鴨川に投げ入れて魚の餌にしろ、
という遺言を残して90歳の生涯を閉じました。
しかし、その遺骸は今の知恩院の境内の隅に葬られ、
10年後には娘や弟子の手によって盛大な法要が営まれて、
浄土真宗の基盤が確立し、親鸞の曾孫の覚如(かくにょ)の時に
はじめて本願寺を名乗りました。
▲国宝、西本願寺唐門
親鸞以来、妻帯してその長男が世襲しましたが、
第八代蓮如(れんにょ)の時に教線を拡大して北陸に及び、
全国的にも絶大な支持を受けました。
蓮如は和讃(仏教の讃歌)を作るなどして、
浄土真宗の教えを平易に説き、民衆の圧倒的な支持を得ました。
しかし、彼の時代に教線を拡大したために、
天台宗など既成の宗派との間に争いが絶えず、
本願寺も各地を転々とすることになりました。
また、浄土真宗は一向一揆の主役となり、
信長や秀吉はその制圧に苦慮しました。
このため、江戸時代前夜には徳川家康がその勢力の分割を図り、
慶長7年(1602)に東本願寺と西本願寺に分けられ、
勢力が二分されることになりました。
▲京都三大門の一つ、東本願寺の御影門
現在、西本願寺を中心とする本願寺派と、
東本願寺を中心とする大谷派をはじめ、
親鸞の弟子の真仏を祖とする高田派ほか、
仏光寺派、木辺派、出雲路派、興正派、山元派、
誠照寺派、山門派などがあり、浄土真宗十派と称しています。
現在、合わせて約二万箇寺の末寺を有する最大の宗派であります。
~つづく~
※引用文献:日本石材工業新聞 第1913号
【墓石建立可能地域】
・兵庫県・神戸市及び関西地方
・東京周辺の首都圏
・関東地方
・東海地方
・近畿地方
・中国・四国地方