お墓と宗旨・宗派⑪臨済宗/建長寺派(鎌倉)南禅寺派(京都)など14派
■お墓と宗旨・宗派①宗派について
https://daiichisekizai.com/200808/
■お墓と宗旨・宗派②法相宗/興福寺・薬師寺(奈良県)
https://daiichisekizai.com/220902/
■お墓と宗旨・宗派③華厳宗/東大寺(奈良県)
https://daiichisekizai.com/241430/
■お墓と宗旨・宗派④律宗/唐招提寺(奈良県)
https://daiichisekizai.com/blog/2012/08/281614/
■お墓と宗旨・宗派⑤天台宗/比叡山延暦寺(滋賀県・京都府)
https://daiichisekizai.com/blog/2012/09/221247/
■お墓と宗旨・宗派⑥真言宗/高野山・金剛峯寺(和歌山県)
https://daiichisekizai.com/blog/2012/09/271004/
■お墓と宗旨・宗派⑦浄土宗/知恩院(京都府)
https://daiichisekizai.com/blog/2012/10/031034/
■お墓と宗旨・宗派⑧浄土真宗/西本願寺・東本願寺(京都府)
https://daiichisekizai.com/blog/2012/10/110945/
■お墓と宗旨・宗派⑨時宗/清浄光寺(遊行寺)(神奈川県藤沢市)
https://daiichisekizai.com/blog/2012/10/211111/
■お墓と宗旨・宗派⑩融通念仏宗/大念仏寺(大阪市)
https://daiichisekizai.com/blog/2012/11/091431/
上記のコラムからのつづきです。
9世紀に中国で臨済義玄(?〜867)という禅僧が創始した禅宗の一派で、
その門下に優れた弟子を輩出して大いに栄えました。
日本には栄西(1140〜1215)が入宋して臨済宗の教えを受け、
建久2年(1191)に帰朝して伝えました。
▲臨済宗・建仁寺派大本山「建仁寺」
この時代、日本では天台宗などの既成宗派の勢力が強く、
禅宗のような新しい宗派が受け入れられるにはまだ時期尚早でした。
そこで、栄西は京都に建仁寺を創建したが、
そこを禅宗の専門道場とはせずに、
密教、天台、禅の三宗兼学道場として、
天台宗などからの批判をかわしました。
一方で鎌倉時代になると禅は武士の間で人気を集めました。
栄西は北条政子の招きで鎌倉に赴き、
ここで頼朝の菩提を弔うために寿福寺を創建しました。
これが最初の禅宗専門の寺院であります。
▲臨済宗・建長寺派大本山「建長寺」
その後、建長5年(1253)には建長寺が建立されたのをはじめとして、
北条氏の保護もあって臨済宗は鎌倉を中心に栄え、
鎌倉五山(禅宗で最高の格づけをされた五大寺)も整備されました。
▲臨済宗・相国寺派大本山「相国寺」
室町時代になると足利氏が臨済宗を厚く保護し、
天龍寺、相国寺を創建して五山の筆頭に据え、
臨済宗は室町時代を通じて大いに栄えました。
江戸時代になって徳川幕府は各宗派を平等に扱いましたが、
やはり、武士に好まれる禅宗は各藩で人気があり、
禅宗の寺院は総じて栄えたのでした。
禅宗のもう一つの宗派である曹洞宗が参禅修行(実践)に重きを置くのに対し、
臨済宗は座禅とともに公案(仏教について考えるきっかけとなる課題)を重んじ、
参禅と公案の解読を繰り返すことによって、悟りに至ることを目指します。
▲臨済宗・南禅寺派大本山「南禅寺」
多くの分派が生じ、現在は鎌倉の建長寺派や円覚寺派、
京都の南禅寺派や妙心寺派など14派に分かれ、
それぞれの派で活動をしています。
観光地で有名な京都の鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺)は
臨済宗・相国寺派に属しています。
~つづく~
※引用文献:日本石材工業新聞 第1922号
【墓石建立可能地域】
・兵庫県・神戸市及び関西地方
・東京周辺の首都圏
・関東地方
・東海地方
・近畿地方
・中国・四国地方