四天王寺の宗派は?
全国にある多くの仏教のお寺は、
天台宗、真言宗、浄土真宗など何らかの宗派に属しています。
では、大阪で有名な「四天王寺」はいったい何宗なのでしょう?
実は、四天王寺は「和宗」という単立宗派の総本山なのです。
単立宗派とは天台宗、真言宗、浄土真宗など、
日本の主な十三の既成の宗派から戦後に独立して
新たな宗派名を名乗り、単立となったものです。
ただし、教理的には独立以前と変わらないところがほとんどのようです。
この四天王寺は推古天皇の元年(593年)に、
聖徳太子によって創建された古刹です。
当初は特に宗派に属することなく、
多くの人々の信仰を受け入れてきましたが、
中世から戦前までは天台宗に属していました。
しかし、終戦後の昭和21年(1946年)に天台宗から独立して
「和宗総本山」を名乗るようになりました。
これは聖徳太子が重んじた"和"の精神に基づくもので、
宗派を超えて万人を受け入れる姿勢を示したのであります。
奈良の「法隆寺」は創建623年の古刹で、興福寺や薬師寺と同じ法相宗でした。
しかし、ここも戦後になって聖徳太子のゆかりの深い寺院ということで、
「聖徳宗」を名乗り、法相宗とは一線を画することとなりました。
また、平安時代のはじめに創建された京都の「清水寺」も、
長らく興福寺の末寺で法相宗に属していました。
しかし、大正3年(1914年)に興福寺住職で
法相宗の管長だった大西良慶師が入寺しました。
当時、衰退していた寺を復興し、昭和40年(1965年)に
法相宗から独立して「北法相宗」と改めました。
その他にも、東京浅草の「浅草寺」も同じく単立宗派の寺院の一つです。
もともとは法相宗の系統であったと思われますが、
平安時代のはじめに慈覚大師円仁が訪れて天台宗に改宗しました。
しかし、浅草寺は「浅草の観音様」の名で親しまれ、
本尊の聖観音は宗派を超えて多くの人々の信仰を集めてきました。
このことから、戦後、「聖観音宗」として天台宗から独立しました。
このように、戦後になって単立宗派の寺院となったところは他にも数多く見られます。
【参考文献】日本石材工業新聞・第1938号